Mr.Childrenのボーカルである桜井和寿さんは前妻との間に子供が1人いて、現妻との間には子供が3人います。
また、現在の家族構成とともに自宅の場所や子供が通っている学校などについてもネット上で簡単に調べることができますね。
しかし、彼が生まれ育った実家については練馬区出身で4人家族だったという詳細以外はあまり知られていません。
そこで今回は桜井和寿さんの実家の家族構成や生い立ちについて調べてみました!
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ミスチル桜井和寿の出身地は練馬区!実家の家族構成は?
ミスターチルドレンのフロントマンである桜井和寿さんが練馬区出身であることはあまりにも有名ですね!
1970年3月8日生まれで、東京都練馬区出身の桜井和寿さん。
実家の家族構成はお父さん、お母さん、2歳年上のお姉さん、桜井和寿さんの4人家族でした。
知られているのはこのくらいです。
では、桜井さんの実家の家族について詳しくみていきましょう!
桜井和寿の父親と母親について!両親の職業は?
最初に桜井和寿さんのルーツとなるお父さまとお母さまについてです。
桜井さんの実家は東京都練馬区貫井3の櫻井工務店です。
桜井さんは建築業を営むお父さま(名前はわかりませんでした)と保育士(当時の言い方で保母)の母・喜久恵さんの間に長男として生まれました。
ご両親は再婚同志で、年齢差もあったようです。
お父さんは2008年5月に死因不明で亡くなられています。
ファンの間では、櫻井工務店は大変有名ですよね。
お父さまが亡くなられた後、どうしたのか気になっていましたが、現在も実家のある場所で存続されているようです。
ただ、代表者を見ると苗字が櫻井ではないので、親戚もしくは櫻井家に近い人に名義を譲ったのかもしれません。
※実家の土地には4階建てのマンションがあり、その1階が櫻井工務店になっています。
その当時スクープした週刊誌によると、お母さまはお姉さんと一緒に暮らしていると書かれていました。
お父さまは以前から癌闘病中だった話もあり、60代の若さで急逝された(当時桜井さん38歳)とのことです。
実家から近い民間の介護施設の代表者がお母さんと同じ名前です。
桜井さんの実家からかなり近い場所(実家から直線で1.5km)で、しかも同姓同名(同じ地域でかつ旧字の櫻井・ありふれた名前でもない)、かつては保育士だったことから(知り合いで保育士から資格をとってケアマネに転身した人がいます)、可能性は高いですね。
ただ、身体を壊しているという話もあるのでその点は気になりますが…。
桜井さんの子供のころの夢は大工で、「Atomic Heart」の頃までは売れなかったら実家を継いで大工になることを考えていたそうです。
桜井さんがギターを始めた学生時代、近隣に息子が出す騒音で迷惑をかけないように壁を防音仕様にしてくれたそうです。
さすが大工さんですね!(笑)。
大工であった父、鶴岡市出身の母、桜井さんに多大な影響を与えたであろうご両親です。
父のための作った曲がある!
桜井和寿さんが父親のために作った作品があるそうです。
映画「私は貝になりたい」の主題歌である「花の匂い」という曲です。
2008年の5月に亡くなった桜井さんのおとうさん。
「花の匂い」は、お父さんへの想いをメロディや歌詞にした曲といわれています。
北京オリンピック・パラリンピックのNHK放送テーマソングを務めた経緯から、その年の紅白にミスターチルドレンは「GIFT」で初出場しています。
紅白を見るのが好きだったお父さんのために出場したのかもしれませんね。
桜井和寿には姉と兄がいる?
桜井和寿さんは二人姉弟の長男です。
桜井和寿さんの姉との年齢差は2歳だそうで、名前はわかりません。
このお姉さんがギターを持っていたことで、今のミスターチルドレン・桜井和寿へと繋がったわけです。
確か桜井の父親は再婚で兄は前妻との子。
一緒に住んでたとか名字が違うかもとかはわかんない。
いわゆる腹違いの兄だったのは初めて知りましたが、昔雑誌で「兄弟は3人」と読んだことがあります。
「終りなき旅」は年の離れた兄が亡くなって出来た歌で、
桜井さん曰く「最高にかっこいい兄でした」と、当時の雑誌で発言されていたのを覚えています。
桜井さんのお兄さんは若くして癌で亡くなっているとゲスト出演したラジオで話していたそうです。
「カンナみたいにね 命を削ってさ 情熱を灯しては」という歌詞は、そのお兄さんの闘病生活を詩にしているのだとか。
桜井さんの作る曲はラブソングだけでなく、家族に対する曲も多いですね。
ミスターチルドレン桜井和寿の出身校やどんな子供時代だった?
続いて、桜井和寿さんのミスチル結成するまでの生い立ちについて調べてみました。
本名 :櫻井和寿(さくらいかずとし)
生年月日:1970年3月8日
出身地:東京都練馬区
身長:172cm
血液型:O型
所属:烏龍舎、カズプロダクション
活動期間:1987年~
レーベル:トイズファクトリー
桜井和寿さんは1970年3月8日に東京で生まれました。
実家は練馬区富士見台にある櫻井工務店で、2歳年上姉と2人姉弟で育ちます。
練馬区にある南光幼稚園まつ組に入園します。
一番古い記憶は「幼稚園の時の恋愛とかそういう感じ、好きなコのこと」だそうです。
【桜井和寿の生い立ち】小学生時代
桜井和寿さんは練馬区立練馬第二小学校に通っていました。
親は勉強については何も言わず、
「何か1つみんなより自身を持って優れていると言えるようなもの身に付けろ」
と言われて育ってきた。
幼少期は勉強があまり得意ではなく、運動神経が良かったため野球などに夢中だったそうです。
それでも、両親からは厳しく言われることはなかったと言います。
小学校入学当初、体にイボが100個ぐらいあって「イボ野郎!」とかからかわれたけど、
「みんなから注目される、その状態が気持ちいい」と桜井さんは思っていた。
気の毒ですが、イボができやすい体質なのかもしれませんね。
今でも画像のように出ていることがあります。
音楽はというと、その頃は「音楽は女がやるもの」と思い込んでいたそうです。
先生にビンタをされようと、授業中は頑なに歌わなかったのだとか。
音楽の先生から往復ビンタ20発ぐらいされても頑として歌わなかった桜井少年。
今だと確実に訴えられる案件ですね。
音楽については興味がなく、むしろ嫌いだったそうです。
【桜井和寿の生い立ち】中学生時代
桜井和寿さんは練馬区立貫井中学校時代に人生の転機が訪れます。
中学校に上がると、不良グループに入ってしまいます。
番長に命令されるのが嫌で、交番に出向き「僕は万引きをしています」といったことで抜けられたそうです。
話しぶりから、うっかり入ってしまった感じでしょうか?
この頃はビーバップハイスクールなどが流行っていたので、不良がカッコいいとされる時代だったのかもしれません。
同世代でいうと、俳優の的場浩司さん。
お笑い芸人の土田晃之さん。
スピードワゴンの小沢一敬さん。
的場さんを除く(笑)、他の人はファッション的に取り入れていた可能性が高いです。
中学時代は落語研究会に所属しています。
不良から、かなり切り替えしてきましたね(笑)。
高座名は「一休寿(いっきゅうことぶき)」で、坊主頭にして活動していたそうですよ。
友人の兄が持っていたギターを「かっこいいなぁ」と思い、姉のギターを借りて練習しはじめたそうです。
最初に演奏した曲は『禁じられた遊び』。
姉が冗談で「天才じゃない?」と言ったのを真に受けて、どんどんギターにのめり込んで行きます。
桜井さんがギターを始めたのは中学生時代。
桜井さんのお姉さんがアリスが好きで、フォークギターを買ったものの使っておらず、それを譲ってもらったそうです。
山形の親戚が浜田省吾さんや甲斐バンドが好きで、「なんか、音楽ってかっこいいなあ」と思った。
「自分も浜田省吾とか甲斐バンドみたいになりたい」。
桜井さんが中学生時代を過ごした1982~1985年頃は、空前のバンドブーム。
同級生はBOOWYなどで盛り上がっていたそうです。
しかし、桜井少年はブレずに、ECHOES、尾崎豊、甲斐バンド、井上陽水などを好んで聴いていたのだとか。
進路は軽音楽部がある高校を選んで受験しています。
【桜井和寿の生い立ち】高校生~ミスチル結成まで
桜井和寿は私立の共学校・関東高校(現:聖徳学園高校)に進学します。
関東高校の軽音楽部で、ギターの田原健一さんとベースの中川敬輔さんに出会います。
桜井さんの彼女(キーボード)を入れた4人体制で、ミスチルの前身バンドとなる「Beatnik」を1985年4月に結成します。
バンドは高校1年生の時からプロを目指しオリジナル曲を中心に活動、レコード会社にデモテープを送るといった本格的なものでした
同年12月に初のオリジナル曲である「クリスマスナイト」(当時付き合っていた彼女の為に作ったもの)を制作。
桜井さんは彼女ができたことですごく自信になり、自分の性格や考え方がガラっと変わったという。
「音楽と彼女の二つのことだけを一生懸命やった」。
桜井さんと田原さんが彼女をめぐって三角関係になり、その仲介役を中川さんがしていた時期があったそうです。
しばらく、桜井さんと田原さんの間でわだかまりが残ることになります。
1987年にバンド名を「THE WALLS」に変更。
高校卒業後は進学せずにアルバイトをしながらバンド活動を続けます。
その後、ドラムの鈴木英哉さんをメンバーに加えて、1989年1月1日バンド名を「Mr.Children」として活動を開始します!
【まとめ】複雑な家庭や貧乏に憧れたという Mr.Children桜井和寿
ミスターチルドレンの桜井和寿さんは、練馬区の富士見台にある櫻井工務店の長男として誕生し、何不自由なく育っています。
どのような経緯があったかは定かではありませんですが、桜井さんの父と母は再婚同志だったらしく、母親違いの年の離れた兄がいるそうです。
その兄は残念ながら若くして亡くなっていて、「終りなき旅」は桜井さんが闘病していた兄に対する想いをつづった楽曲なのだそうです。
血が半分しか繋がっていない兄ですが、曲を作るくらいですから、かなり親しかったことがわかりますね。
ラブソングに名曲が多い桜井さんですが、このように胸にグっとくる人間くさい楽曲を作れるのもまた魅力ですねよ!
最後までお読みいただきありがとうございました!