蛭子能収の自宅住所は二子玉でお金持ち!出身学校はどこなの?

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ゆった~りとお話され、とってもユニークなキャラをお持ちの蛭子能収さん。

あの方が漫画家だと知らない若者たちも多くいるんだとか?!

実際わたし自身も漫画家だとは知っていても…

蛭子能収さんの作品には1度も触れたことはありません。

蛭子能収さんは本業である漫画よりもテレビに出演する方がギャラがいいから…と多くのテレビ番組に出演されているそうですよ(笑)

そんな蛭子能収さんのご自宅の住所は二子玉のどこなのか?出身学校について調べていきたいと思います。

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蛭子能収の自宅はどこ?自宅住所は二子玉?!

蛭子能収さんのご自宅が二子玉なのではないか?という噂があります。

理由として2つのポイントがありますのでご紹介させて頂きますね。

 

1.二子玉付近で目撃

“ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!”

こちらの番組のこのコーナーにて蛭子能収さんに遭遇したらしいんです。

2017年8月6日(日) 23:25~23:55 日本テレビ

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」

第1回ガキの使いやあらへんで!チキチキ徹底検証!有名人に会うまでブラリし続けましょう!!二子玉川編

ガキ使メンバーがプライベートの有名人に遭遇するかを二子玉川で検証。一行が三たび二子玉川ライズへ向かっていると、蛭子能収に遭遇し、開始から3時間53分でクリアとなった。

実際、蛭子能収さんは“この辺に住んでる”と自ら明かしておられます。

二子玉でなくとも、二子玉付近に住んでおられるのは確かでしょう。

 

2.二子玉市街を望める瀬田玉川神社との関係

また、蛭子能収さん実は再婚されています。

妻の趣味だという神社巡りにもつきあい、お賽銭を投げてはふたり並んで願い事をするが、本当は“思うところ”があるのだから。

「女房のわがままをとりあえず聞いてあげる。なんて言ったら、また女房に怒られそうだけど(笑い)。

とにかく女房は神社のことは譲らない。

お賽銭も最初は10円だったのに、いつのまにか100円になって、今は1000円になってどんどん上がっている。

神様が救ってくれると本気で信じているみたいだけど、ぼくは現実的だから、『いやいや、助けてくれるのは、今お賽銭にするこの1000円だよ!』って言うんです。

一応ね。

もちろん最後は、『すまん、おれが悪かった』となるんですが」

再婚された奥さまは神社巡りがお好きなようです。

神様が救ってくれていると本気で信じていると蛭子能収さんはおっしゃっていますね。

大絵馬の制作にあたり、テレビでおなじみの蛭子能収さんより、多大なご奉納をいただきました。

蛭子さんご夫妻からは、この他にもたくさんのご奉納をいただいており、境内のいくつかの場所に、そのお名前が刻まれております。

1000円のお賽銭だけでは奥さまのお気持ちが済まなかったのでしょう(笑)

ご夫婦揃って、数々の奉納をしているようです。

現在でも境内からは富士山と二子玉川市街地を望むことができます。

という瀬田玉川神社。

奥さまの神様が守ってくれていると信じていらっしゃるということですので

わたしたちの街、二子玉をお守りください!というお気持ちからの奉納なのかもしれませんね。

以上の2点から

蛭子能収さんのご自宅は二子玉で間違いないのではないかと考えられます。

 

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蛭子能収の出身はどこ?学校は?

現在、蛭子能収さんは二子玉付近にお住まいということがわかりました。

出身や出身校などはどこなのでしょうか?

名前  蛭子能収(えびす よしかず)
生年月日 1947年10月21日
出身地  熊本県牛深市(現天草市)
血液型  o型
身長  170㎝

出身地は熊本県なんですね。

漫画家コースでもあったのかなと調べてみました。

長崎商業高校 偏差値51(普通・現在)

蛭子能収さんの出身校は、市立の共学校の長崎商業高校です。

同校は1885年設立の伝統校で、県内では硬式野球部が古豪として知られています。

長崎商業高校は九州最古の商業高校です。

蛭子さんが在学した当時は偏差値という概念もありませんでしたが、現在よりもレベルは低かったことが推測されます。

蛭子能収さん高校時代である、この頃はまだ漫画家を目指していなかったようです。

漫画家を目指し始めたのは…まだもう少し先。

高校卒業後大学には進学せずに就職。

同僚が主宰する漫画サークルに入会したことがきっかけに漫画家を目指すことを決意。

23歳の時に上京して本格的に漫画を目指すと、26歳で漫画雑誌ガロに入選してデビューを果たします。

もちろん、苦労していないわけではないと思うのですが…

なんだか結構アッサリ漫画家になれてしまっていますね。

元々、漫画家としての才能や素質などはお持ちだったのかもしれません

1986年劇団・東京乾電池の公演に参加したことをきっかけに、テレビに登場。以後、俳優、タレントとしても活躍する。

大変失礼ではありますが…

わたし自身としては、漫画家である蛭子能収さんよりも

タレント蛭子能収という肩書の方がしっくりきてしまいます。

今後も個人的にはタレント蛭子能収としての活躍を期待しています。

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